今日は、三陸に行って強く感じたことがあるので、
YOSENABEの皆さんにシェアさせてください。
四十八漁場でアルバイトを始めた15年前。
当時の私は、魚もお酒も右も左もわかりませんでした。
飲食の楽しさ。
日本酒の美味しさ。
そして、人を喜ばせたときの幸せ。
それを教えてくれたのは、紛れもなく四十八漁場です。
当時は、宮崎県・島野浦の自社漁船、自社定置網による「今朝ドレ鮮魚」が売りでした。
発注で魚種を指定することはできず、お店で箱を開けるまで何がどれだけ入っているかわからない。
刺身盛り合わせに並ぶ魚は、ほとんど〇〇鯛。
そして、シケで漁に出られなければ、お店で出せる魚がないこともありました。
そんな中、2012年に第二の産地として取引が始まったのが陸前高田です。
この産地とのつながりこそが、
私たちが「魚の価値をもっと伝えなければならない」と考えるきっかけになりました。
「漁に出れば獲れてしまう魚」でありながら、
傷みやすく、下処理に手間がかかり、身が柔らかく扱いづらい。
そんな理由から長年「売れない魚」とされてきた魚がいます。
その魚が、「どんこ」です。
15年前、都内でどんこを見かけることはほとんどありませんでした。
市場には出回らず、地元で消費される魚だったからです。
それが今では、スーパーでも見かけるようになりました。
もちろん私たちだけの力ではありません。
それでも、伝え続け、食べてもらい、「美味しい」と感じてもらうことに
少しは貢献できたのではないかと思っています。
どんこ本来の旨みを残しながら臭みだけを取り除く絶妙な血抜き。
鮮度を維持するための神経締め。
さらに流通にかかる時間を逆手に取り、旨みを引き出す熟成へと変える温度管理と箱詰め。
お店でどう食べられるか、どんな料理になるのか。
そこから逆算して魚を仕立てていく。
まさに、四十八漁場のスローガンである
「料理は船の上から始まっている」を体現した仕事です。
箱を開けた料理人たちが思わず声を上げるほど、
身が張り、輝くような状態で届くどんこ。
その魚の向こうには、漁師たちの技術と想いがあります。
四十八漁場がまだ売れない時代。
ともに魚を磨き、ともに走り続けてくれた陸前高田の漁師たち。
そんな仲間たちに会いに行ってきました。
陸前高田といえば、たっけ。
同い年ですが、誰よりも魚に向き合い、誰よりも熱い。
魚の話をする姿は本当に格好良く、同世代とは思えないほど。

東日本大震災から15年。
街は綺麗になっています。
けれど、その場所に立つと今でも胸が締め付けられます。
かつて市街地だった場所には、家がほとんどありません。
防波堤はできても、あの日の記憶が消えることはありません。
そんな過去を背負いながらも、海と向き合い続ける人たちがいます。
だからこそ私たちも、その想いをお客様へ届け続けたい。
魚を食べる人が増えること。
魚の価値が正しく伝わること。
そして、魚食文化が未来へつながっていくこと。
そのために、これからも生産者とともに歩み続けたいと強く思います。
- 他にも米崎牡蠣、雪解け牡蠣でお馴染みの学さんや、つか弁でお馴染みの銀王の鈴木さんなど様々な生産者の方々とお会いしたので、レポートは後日別メンバーよりシェアさせていただきますのでお楽しみに〜!
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投稿を表示素敵な共有ありがとうございます!
三陸もまた、四十八漁場の歴史と、四十八漁場の今を語る上でなくてはならない産地ですね!
今回の訪問を機に、さらに繋がり強くなっていくこと楽しみです!